9月のFRBによる大幅利下げは、株式・為替を含む金融市場全体のリスク回避姿勢を和らげた。利下げ幅が事前の市場予想と概ね一致していたことも手伝い、多くの資産クラスは緊張の解消とともに落ち着きを取り戻している。原油もこの流れに沿って、8月末につけた60ドル台からの戻りを見せた。
ただし、金融市場全体という広い枠組みで原油を眺めたとき、他の資産と足並みが揃っていない部分がある。それが、本稿が主題とする投機筋のポジションである。株式市場では利下げ後にポジション調整が概ね一巡したのに対し、原油の投機筋ポジションだけは、後述するように8月末の水準からほとんど動いていない。この「原油市場だけに残る偏り」がどこから来るのかを理解するには、まず何がこの偏りを生んだのかという背景を確認しておく必要がある。8月終盤にかけては、モルガン・スタンレーをはじめとする複数の金融機関が需要見通しを引き下げ、中国経済の減速に対する懸念も重なったことで、WTIは60ドル台まで水準を切り下げていた。この需要懸念が、次章で扱う投機筋のショートポジションを生んだ土壌である。
金融市場全体が利下げを機に落ち着きを取り戻す中、原油の投機ポジションだけがその流れに追いついていないという構図は、価格の戻り幅だけを見ていては気づきにくい。資産クラス間の「同調・非同調」を比較する視点が、この局面を読み解く手がかりになる。
投機筋が保有するポジションを解消するには、その反対側で買い手(あるいは売り手)となる十分な取引相手が市場に存在している必要がある。重要な金融イベント(FOMC等)を目前に控えた局面では、多くの市場参加者が新規の売買判断を先送りする傾向があり、結果として市場全体の「厚み」が薄くなる。ポジションの方向性そのものが変わらなくても、この厚みの薄さゆえに、大口のポジションは解消されないまま据え置かれることがある。
この一般的な力学を、2024年9月のCFTCデータに当てはめてみる。71.5ドル近辺には、8月末以降に積み上がった投機筋の新規売りが集中している。特徴的なのは、価格がその後60ドル台から緩やかに戻しているにもかかわらず、直近(9月17日時点)の建玉報告では、このショートポジションがほとんど解消された形跡が見られないことである。前章で述べたFOMCを控えた様子見ムードが、この「解消されない」という現象を説明する。
この状態がいつまで続くかは不透明である。仮に71.5ドル近辺という売りの防衛ラインを価格が上抜けるような局面が訪れれば、そこに置かれた損切り注文が引き金となり得る。市場の厚みが乏しいままであれば、そうした損切りが連鎖し、一時的に70ドル台後半まで水準を切り上げる展開も想定される。
価格が戻った場合、その戻りが需給の実質的な改善によるものか、単に薄い流動性の中でポジションが整理された結果に過ぎないのかを区別することが、その後の値動きの持続性を判断する材料になる。
先物曲線を、限月ごとの反応速度という切り口で見ると、興味深い分化(単純で同質(どうしつ)のものから、次第に複雑で異質のものに分かれていく流れ)が確認できる。半年から1年先の限月では、8月30日前後を境に逆ザヤの縮小(フラット化)が明確に進んだ。一方、直近限月における逆ザヤの縮小は限定的にとどまっている。同じ需要懸念という材料に対して、限月によって反応の速さがまるで異なっていたことになる。
足元では、価格の戻りとともにこの流れが逆転しつつあり、曲線は再びスティープ化(逆ザヤの拡大)に向かい始めている。ただし逆ザヤの絶対水準としては行き過ぎた域には達しておらず、市場参加者の心理も過度な楽観・悲観のいずれにも傾いていないとみられる。
限月間で反応速度が異なるという事実は、市場参加者が需要懸念を「恒久的な構造変化」ではなく「一時的な調整」として捉えていた可能性を示唆する。逆ザヤが適温の範囲にとどまっていることも、この解釈と整合的である。
2024年9月のWTI原油市場は、価格という「速い時計」がすでに戻りを見せている一方で、投機筋のポジションという「遅い時計」は8月末の水準でほぼ止まったままという、二つの異なる速度が併存する局面にある。65〜75ドルというレンジは、この二つの時計のズレが生み出す一時的な状態と捉えることができる。このズレがどちらの方向に解消されるかは、FOMC通過後に市場の厚みがどの程度回復するか次第と考えられる。