2025年4月、WTI原油は55.12ドルという2021年2月以来の安値を記録した。この価格水準が何を意味するかを理解するためには、単純な価格比較ではなく、当時の市場環境との比較が必要である。2021年2月は新型コロナウイルスのパンデミックからの回復初期段階であり、需要の回復期待が価格を押し上げていた局面だった。4年以上ぶりにその水準を割り込んだということは、市場参加者が世界経済の先行きに対して極めて深刻な懸念を抱いていたことを示している。
この急落の直接的な引き金は米中貿易戦争の激化である。関税の応酬が世界的なサプライチェーンの混乱と経済成長の鈍化への懸念を高め、エネルギー需要の減少を見越した売りが殺到した。
55.12ドルという安値は、需給ファンダメンタルズの悪化ではなく、金融市場全体の「リスクオフ」モードへの転換によって引き起こされたものである。実際の石油需要がその時点で急減していたわけではなく、将来の需要減少への「恐怖」が価格を動かした。この区別は重要であり、「恐怖による売り」は実需の悪化による売りとは異なる回復パターンを示す。
4月の最も重要な構造的変化は、取組高(オープンインタレスト)が30万枚超減少したことである。取組高はポジションの総量を示す指標であり、この大幅な減少は市場から大量の資金が引き上げられたことを意味する。
この流動性収縮の内部構造は複雑だった。ヘッジファンド・CTA等のマネージドマネーのロングポジションは逆に増加に転じており、安値圏での打診買いが入っていた。一方、Trader(CFTCへの報告義務を持つ大口ポジション保有主体)は売り方を増やし、一時的に弱気のセンチメントにあった。この「マネージドマネーのネットロング増・Traderの売り方増」という方向感を欠く分岐が、取組高30万枚超の消失という構造的矛盾の実態である。
取組高の大幅減少は「市場の萎縮」を示唆する傾向にある。流動性が低下した市場では、少量の売買でも価格が大きく動く。4月の急落の一部は、この流動性低下による価格の増幅効果であった可能性がある。取組高の回復(市場への資金の再流入)が、価格の安定回復の先行指標になることもある。
キャッシュ化の波を受けて、先物曲線は一時的にコンタンゴ(順ザヤ)を形成した。ただし、この構造は均一ではなかった。期近6か月以内の部分は依然として逆ザヤ(バックワーデーション)が残っており、一方で期先はコンタンゴという、前後で異なる形状を示した。
期近のバックワーデーション維持は、物理的な現物需給がまだタイトであることを示している。一方、期先のコンタンゴは将来の供給過剰を見込んでいる。「現在はタイト、将来は余剰」という市場の認識が、この複雑な曲線形状に凝縮されている。価格が急落しても物理的な需給の現実(在庫タイト)は変わらないという事実が、その後の緩やかな回復を支えた。
55.12ドルの安値を付けた後、WTI原油は緩やかに巻き戻しを開始した。貿易摩擦の影響を「見極める局面」に入ったとも言える。急落の原因が実需の悪化ではなく金融的なキャッシュ化であったため、物理的な需給の現実(在庫タイト・期近バックワーデーション)が下値を支えた。