3月・4月のWTI原油市場は、OPEC+の自主減産コミットメントと中東における停戦期待の後退を手掛かりに底堅く推移していた。しかし5月に入り、この構図が変化した。変化をもたらした主な要因は二つである。
第一に、中東・ウクライナ情勢の緊迫化の一服。地政学的なリスクプレミアムが縮小し、投機筋が積み上げていたロングポジションを維持するための根拠が薄れた。第二に、米金利の高止まりによる燃料需要抑制懸念の強まり。インフレの粘着性が「高金利長期化」という認識を固定化させ、需要面からの下押し圧力が顕在化した。この二つが重なることで、それまでの底堅さが軟調な推移へと転換した。
3・4月の底堅さは「供給リスク」に支えられたものだった。5月は「需要懸念」という新たなテーマが浮上したことで供給と需要がバランスされ、相場のテンションが緩和された。しかし両者がバランスされているため、大きな方向感のある動きにもなっていない。
本稿で特に重要な概念として記録したいのは「79ドル踏み上げ一巡」という現象である。3月26日付の筆者のレポートでは、79ドル平均という水準がそれまでの「転売・新規売りの抵抗線」から「新規買い・買い戻しの支持線」へと変化し、同水準以上での新規の買いが確認されると報告した。この「79ドルの質的変化」が相場の底堅さを支えていた。
しかし5月時点で、この79ドル以上での踏み上げが一巡した。新規の買いを入れてきた参加者のポジション構築が完了し、次の材料待ちの状態に入ったことを意味する。踏み上げという「上昇のエンジン」が止まると、相場は方向感を失う。
「踏み上げ一巡」という概念は、相場の本質を理解する上で重要な視点を提供する。空売りポジションが積み上がった相場で価格が上昇し、売り方(ショート保有者)が損切りを強いられ、その買い戻しがさらなる価格上昇を引き起こす。しかし本質はポジション由来の価格上昇に過ぎない。相場を押し上げる局面(踏み上げ)が終わると、市場は何もなかったように振舞い、次の相場変動のトリガーを探す様子見に入る。
5月のCFTCデータが示す特徴的な観察は、大口Trader(Reportable Trader)とTrader数(CFTCへの報告義務を持つ大口ポジション保有主体の数)の方向性の違いである。大口Traderのネット建玉はロング増を示す一方、市場のセンチメントを測る物差しでもあるTrader数は弱気の方向性(売り方増)を示している。
重要な視点として、ネットポジション(ロングとショートの差)は総量を反映するが、一つの巨大な主体が大きなポジションを保有しているのか、数百の主体がそれぞれ小さなポジションを保有しているのかを区別できない。一方のTrader数は、この「参加の広がり」を独立した指標として可視化している。
「ポジションは強気、Trader数は弱気」という温度差は、単に市場が需給の方向性について参加者間で合意できていないことを示しているわけではない。主要プレイヤーの動向、ネットポジション変化の質的な違い(ショート減少によるロング増加か、新規買いによるものか)、スプレッド、Trader数を併せて観察することで、表面的な市場の動きと実際の意図との乖離をより早期に察知できる傾向がある。
先物曲線においても特徴的な変化が進行している。2月以降拡大していたバックワーデーション(逆ザヤ)が4月半ばにピークアウトし、その後1か月弱の調整・修正期間を経て、現在はフラット化(平坦化)の状態に定着しつつある。
逆ザヤが深ければロールイールドの恩恵を受けやすく、投資の観点においても重要な動機のひとつとなるが、それらが解消されたため、市場参加者のポジショニングに対する動機もフェイドアウトした。
概して、バックワーデーションの拡大は「現物のタイト感・供給リスクへの懸念」が教科書的な説明となっているが、足元のバックはポジション由来。フラット化への移行は、カタリスト(相場を大きく動かすきっかけとなる出来事や材料)の消滅の可視化と、市場の調整入りを示唆する傾向にある。
2024年5月のWTI原油市場は、強弱材料が拮抗する中で方向感と動機を欠く展開が続いており、当面75〜80ドルのレンジで底堅く推移するという見通しを維持する。79ドル踏み上げ一巡、バックワーデーションのピークアウト、参加者ポジションとセンチメントの温度差——これら三つのシグナルは、「現在は転換点を試す局面ではない」ことを指し示している。